Toshlさんが2021年7月14日にフィギュアスケート羽生結弦選手に対してのブログを書かれました。
参考記事 羽生結弦 その言葉の一歩先
そのブログの中で、羽生結弦選手の言葉の解釈をされている部分があります。それが下記になります。
口先でいくら綺麗事や言い訳を並べても
やるやる などと言っても
恥ずかしいだけ試合で飛べないなら
飛んだとは言えないあなたに見ていただかなければ
飛ぶ意味がないあなたに喜んでいただかなければ
そもそも、始まらないチャレンジするなら
龍玄としオフィシャルブログから
応援くださるお一人おひとり
全ての皆さんと
喜びも、悲しみも 感動も、感謝も 一緒に分かち合いたい
これって、私が今のYOSHIKIさんに対して思っている事なのです。
つまり、Toshlさんも同じ気持ちなのかと思ってしまいました。
口先でいくら綺麗事や言い訳を並べても
綺麗事というのは、亡きメンバーの為に世界進出をする、妥協することは出来ないからアルバムが完成しないという事を言ってるのではないでしょうか。
言い訳と言うのは、リリースするタイミングを見計らっているという理由で延期、PATAさんの病気での延期、Toshlさんの契約の問題での延期ではないでしょうか。
やるやる などと言っても
これはアルバムを出す出すという発言を指しているのではないでしょうか。
試合で飛べないなら
飛んだとは言えない
音楽活動をしないのであれば、ミュージシャンとは言えないと言ってるように読めます。
アルバムを出さずに前進をしないのであればと言ってるようにも思えます。
あなたに見ていただかなければ
飛ぶ意味がない
Xの音楽活動はYOSHIKIさんのレコーディング編集がほとんどで、他のミュージシャンは収録が終わればそれっきりで、活動はありません。
つまり、YOSHIKIさん以外のメンバーはXとしての活動が無いんですよね。ミュージシャンとして演奏する場がない状態。公に演奏する機会がなければ、Xのバンドのメンバーとして縛られる必要があるのであろうかと。
あなたに喜んでいただかなければ
そもそも、始まらない
ファンに音楽を聴いてもらわなければ、過去の栄光にすがっているだけ。新しいXは何一つ始まっていないと言っているように感じました。
チャレンジするなら
応援くださるお一人おひとり
全ての皆さんと
喜びも、悲しみも 感動も、感謝も 一緒に分かち合いたい
世界進出に挑戦するなら、ファンのみんなと一緒に分かち合いたいということではないでしょうか。
特に、悲しみもという所が、世界進出失敗しても、それを一緒に分かち合いたいという風に聞こえます。
現状、Xの世界進出は挑戦せずに終わっています。多くの方が全世界に向けアルバムを出さない理由を失敗を恐れて挑戦しなかったという風に捉えているでしょう。
YOSHIKIさんの絶対に成功させるという強い想いと同時に、失敗の烙印を押されるのがYOSHIKIさんのプライドからは許されないのだと思います。
ただ、Toshlさんの表現のように悲しみも一緒に分かち合うというのが、Xスピリットじゃないかと思うんです。
私はXのファンとして、世界進出は成功すると思っていました。
それが、昔のXであれば。
例え成功しないことがあっても、きっとそこには、次のXがあったと思うし、ファンが世界進出の失敗に対して絶望なんてない。
今想うこと。
昔のXのようなの活動を望んでいるわけではないです。
メンバーが生きていれば、それで幸せと思うファンの気持ちもわかります。
私も今もそうでした。
何が残念なのかと言うと、TAIJIさんが脱退されてXが解散するまでと同じ状況に再びなっているということ。
今回の復活は、再び世界に向けて進出しようとしました。アルバム制作もしました。世界ツアーもしました。
ただ、世界ツアーも、以前のようにアルバムのないツアー。
世界に向けてメンバーが頑張ってレコーディングしたけど、YOSHIKIさんの所存でリリースされず、今もレコーディング中。
結局、メンバーの意志、存在意味って何なんだろうかと言うこと。
Toshlさんの契約問題で、ToshlさんはYOSHIKIさんに意見を言いたかったのだと思います。
そして、今回の羽生結弦選手の言葉の解釈がToshlさんの正しいとしている想いではないでしょうか。
とりあえず、今回はここまでします。
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